2012-03-26 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
平成十四年三月には桑江伊平土地区画整理事業が都市計画決定をされております。 平成十五年三月三十一日にキャンプ桑江の北側部分と先ほど言いました陸軍貯油施設部分が米軍から返還されております。返還と同時に、当時の那覇防衛施設局が原状回復を行うために地権者への土地引渡しを保留しております。 平成十五年の十月、キャンプ桑江北側及び陸軍貯油施設が特定跡地に指定されております。
平成十四年三月には桑江伊平土地区画整理事業が都市計画決定をされております。 平成十五年三月三十一日にキャンプ桑江の北側部分と先ほど言いました陸軍貯油施設部分が米軍から返還されております。返還と同時に、当時の那覇防衛施設局が原状回復を行うために地権者への土地引渡しを保留しております。 平成十五年の十月、キャンプ桑江北側及び陸軍貯油施設が特定跡地に指定されております。
これまでの検討の結果、国道五十八号を東側に約二十メートル拡幅する案が最も有力であるとの結論に達しまして、北谷町の御了解も得た上で、先行して北谷町によって施行されております桑江伊平土地区画整理事業との調整を行っているところでございます。
特に四国の高速道路の整備につきましてきょうはお伺いしたいんですけれども、越智伊平さんが建設大臣のころに、本四架橋が完成したころには、ぜひ四国の中も各県庁所在地を高速道路で結びたい、こういうふうな期待をしておったわけです。
それから、例えば私が議運の担当課長をやっているときに、越智伊平議運の委員長、中曽根内閣の、このときにはかなり派手にやっているときでして、私も直接間接にかんでいたんですが、海外旅行で議運班で、ボンから当時の後藤田官房長官に野党の先生が連署されて礼状を書いたんですね、最初に、いろいろ御高配をいただいて順調に旅行は進んでいますと。私が手紙を書いたんですから。
これは一九八九年四月二十六日の日経新聞の記事ですが、青木伊平さんが亡くなったときの記事です。「リクルート事件で政治責任を取って辞意を表明した竹下首相の懐刀といわれた青木伊平元秘書(58)が二十六日朝、東京・渋谷区の自宅で自殺した。青木氏は竹下首相の金庫番で、竹下氏周辺の政治資金などを取りしきっていた。」
○藤本孝雄君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、本院議員越智伊平先生は、去る三月二十四日、愛媛大学医学部附属病院において逝去されました。 突然の訃報に接し、しばし茫然と、語る言葉もなく、まことに痛恨のきわみであります。今日までの御交誼、御厚情に心からお礼を申し上げるとともに、寂寥の感深く、惜別の念にたえません。
議事日程 第二十五号 平成十二年四月二十五日 午後零時三十分開議 第一 港湾労働法の一部を改正する法律案(内閣提出) 第二 独立行政法人教員研修センター法案(内閣提出) 第三 建設工事に係る資材の再資源化等に関する法律案(内閣提出) 第四 資金運用部資金法等の一部を改正する法律案(内閣提出) ————————————— ○本日の会議に付した案件 藤本孝雄君の故議員越智伊平君
議員越智伊平君は、去る三月二十四日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 越智伊平君に対する弔詞は、議長において去る二十三日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
谷 福丸君 ――――――――――――― 委員の異動 四月二十五日 辞任 補欠選任 新藤 義孝君 小島 敏男君 望月 義夫君 佐藤 勉君 同日 辞任 補欠選任 小島 敏男君 新藤 義孝君 佐藤 勉君 望月 義夫君 ――――――――――――― 本日の会議に付した案件 新議員紹介の件 議員越智伊平君逝去
――――――――――――― 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに運輸委員長議院運営委員長予算委員長等の要職につき またしばしば国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等越智伊平君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ―――――――――――――
○大島委員長 次に、議員越智伊平君逝去の件についてでありますが、去る三月二十四日、四国選挙区選出議員越智伊平君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 越智君に対する追悼演説は、本日の本会議において行うこととし、演説者は、自由民主党の藤本孝雄君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中路 雅弘君 深田 肇君 ………………………………… 国務大臣 (総務庁長官) 続 訓弘君 総務政務次官 持永 和見君 北海道開発政務次官 米田 建三君 沖縄開発政務次官 白保 台一君 内閣委員会専門員 新倉 紀一君 ————————————— 委員の異動 三月二十四日 委員越智伊平君
多年にわたり本委員会の委員として御活躍され、また、さきに院議をもって永年在職議員として表彰されました越智伊平君が、去る三月二十四日、逝去されました。まことに哀悼痛惜の念にたえません。 ここに、委員各位とともに故越智伊平君の御冥福を祈り、謹んで黙祷をささげたいと存じます。 御起立を願います。——黙祷。 〔総員起立、黙祷〕
委員長 植竹 繁雄君 理事 鈴木 俊一君 理事 虎島 和夫君 理事 萩野 浩基君 理事 松本 純君 理事 岩田 順介君 理事 山元 勉君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 小泉純一郎君 佐藤 信二君 関谷 勝嗣君 谷川 和穗君 近岡理一郎君 桧田 仁君 堀内 光雄君
それから、もう今お亡くなりになりましたけれども、青木伊平さんも実はこの会社の取締役の中に名前を連ねております。 これは、古川さん、どうなんですかね。本当に先ほどからお話をしただけでも四つぐらいの会社のこういう役員になっておるということでございますが、ある時期というのは、まさにこのエヌ・ティ・ティ・システム開発の役員になっている期間というのは、総理が官房長官をやっているときでもあるわけですね。
平成十一年十二月十五日(水曜日) 午前十時二十分開議 出席委員 委員長 植竹 繁雄君 理事 鈴木 俊一君 理事 虎島 和夫君 理事 萩野 浩基君 理事 松本 純君 理事 岩田 順介君 理事 山元 勉君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 佐藤 信二君 関谷 勝嗣君 谷川 和穗君 桧田 仁君
栄一君 岩永 峯一君 植竹 繁雄君 臼井日出男君 江口 一雄君 江渡 聡徳君 江藤 隆美君 衛藤征士郎君 衛藤 晟一君 遠藤 武彦君 遠藤 利明君 小川 元君 小此木八郎君 小里 貞利君 小澤 潔君 小野 晋也君 小野寺五典君 小渕 恵三君 尾身 幸次君 越智 伊平君
平成十一年十二月七日(火曜日) 午後三時二分開議 出席委員 委員長 植竹 繁雄君 理事 鈴木 俊一君 理事 虎島 和夫君 理事 萩野 浩基君 理事 松本 純君 理事 岩田 順介君 理事 山元 勉君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 小泉純一郎君 佐藤 信二君 坂本 剛二君 関谷 勝嗣君
笹木 竜三君 ………………………………… 国務大臣 (総務庁長官) 続 訓弘君 総務政務次官 持永 和見君 北海道開発政務次官 米田 建三君 沖縄開発政務次官 白保 台一君 内閣委員会専門員 新倉 紀一君 ————————————— 委員の異動 十二月三日 辞任 補欠選任 越智 伊平君
委員長 二田 孝治君 理事 植竹 繁雄君 理事 萩野 浩基君 理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 小泉純一郎君 佐藤 信二君 関谷 勝嗣君 谷川 和穗君 近岡理一郎君 虎島 和夫君 桧田 仁君 堀内 光雄君 松本 純君
平成十一年八月二十四日(火曜日) 午前十時開議 出席委員 委員長 二田 孝治君 理事 植竹 繁雄君 理事 萩野 浩基君 理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 小島 敏男君 佐藤 信二君 桧田 仁君 平沢 勝栄君 河村たかし君 藤村 修君
平成十一年八月十三日(金曜日) 午前十一時三十二分開議 出席委員 委員長 二田 孝治君 理事 植竹 繁雄君 理事 小此木八郎君 理事 小林 興起君 理事 萩野 浩基君 理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君 理事 河合 正智君 理事 三沢 淳君 越智 伊平君 奥山 茂彦君 小島 敏男君 近岡理一郎君 堀内 光雄君
同(中島武敏君紹介)(第七二三八号) 同(中林よし子君紹介)(第七二三九号) 同(春名直章君紹介)(第七二四〇号) 同(平賀高成君紹介)(第七二四一号) 同(古堅実吉君紹介)(第七二四二号) 同(松本善明君紹介)(第七二四三号) 介護保険制度の改善に関する請願(児玉健次君紹介)(第七二六五号) 同(児玉健次君紹介)(第七三二〇号) 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(越智伊平君紹介
栄一君 岩永 峯一君 植竹 繁雄君 臼井日出男君 江口 一雄君 江渡 聡徳君 江藤 隆美君 衛藤征士郎君 衛藤 晟一君 遠藤 武彦君 遠藤 利明君 小川 元君 小此木八郎君 小里 貞利君 小澤 潔君 小野 晋也君 小野寺五典君 小渕 恵三君 尾身 幸次君 越智 伊平君
総務庁長官) 太田 誠一君 国務大臣 (防衛庁長官) 野呂田芳成君 出席政府委員 人事院総裁 中島 忠能君 委員外の出席者 衆議院法制局第 三部長 臼井 貞夫君 内閣委員会専門 員 新倉 紀一君 委員の異動 八月五日 辞任 補欠選任 越智 伊平君